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小泉首相の終戦記念日靖国神社参拝

2006816

宇佐美 保

 

 「小泉首相の815日(終戦記念日)の靖国神社参拝」をマスコミは報じました。

 

 asahi.com20060815)の記述を引用させて頂きます。

 

・・・現職首相による終戦記念日の参拝は85年の中曽根康弘元首相以来21年ぶり。小泉首相は就任前に8月15日の参拝を公約していたが、過去5回は時期をずらしていた。

・・・

 首相は01年の自民党総裁選で「首相に就任したら8月15日の戦没慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と公約した。

・・・

「総理大臣である人間小泉純一郎が参拝した。職務としてではない」と述べ、私的参拝の立場を強調した。

 

 テレビを見ていたら、中曽根康弘元首相は次のように発言されていました。

 

靖国神社への参拝を自民党総裁選の公約に掲げる自体が間違いである。

その公約のもとに首相となれば、私的参拝などはありえない。

(“公約を実行して本人は満足であろうが”とも語っておられました。)

 

 

 そして、又、その公約は、私達国民への公約ではなく、自民党総裁選での自民党議員党員への公約でしかありません。

 

 参拝で中韓両国との首脳外交は途絶えることになったが、首相は「外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と不快感を表明。今月に入ると「公約は生きている。守るべきものだ」と語っていた。

 

 小泉氏は、「自民党総裁選の公約」を「心の問題」であると誤魔化しています。

なにしろ、“「公約は生きている。守るべきものだ」と語っていた。”のですから!

「心の問題」とは、小泉氏の「心の問題」ではなくて、外国政府(中国国民、韓国国民など)の「心の問題」ではありませんか!?

何故、小泉氏は他人の心が理解出来ないのでしょうか?!

このような人物が日本のトップに居座った事がとても残念で、悲しくなります。

(そして、このような人物に当初は期待した己の不明を恥じています!

でも、その時点では「靖国参拝の公約」は知りませんでした)

 
  更に、引用させて頂きます。

 小泉首相は15日の参拝後、首相官邸で記者団に対し、「あえて15日を避けて参拝してきたが、いつも批判、反発がある。そして何とかこの問題を大きく取り上げようという勢力は変わらない。いつ行っても同じ。ならば今日は適切な日ではないかと判断した。これから戦没者追悼式典も行われる」と語った。

・・・

 

 この小泉氏の屁理屈は、まるで餓鬼の理屈ではありませんか!!??

 

 更に、引用させて頂きます。

 内外からの批判については、自ら3点挙げて反論。中韓両国に対しては「一つの意見の違いが不愉快だからと首脳会談を行わないことがいいのか」と主張し、「中韓両国は日本の国連安保理常任理事国入りに反対している。不愉快なことだが、私が首脳会談を行わないと言ったら、どっちを批判するのか」と述べた。

 

 まるで頓珍漢な議論を小泉氏は展開するのでしょうか?!

呆れ果ててしまいます!

「靖国参拝」と「日本の国連安保理常任理事国入り」とでは全く比較にならないではありませんか!?

「日本の国連安保理常任理事国入り」などは、日本の国民は強く願ってはいません。

ですから、この件で反対された事で、中韓両国に不快な思いを抱いている日本人は少数でしょう。

しかし、日本の軍国主義の中心的役割を果たしていた靖国神社へ日本の首相の参拝は、日本軍に蹂躙された中国韓国などアジアの方々の心を傷つける事となります。

 

 

何故、小泉氏は相手の立場に立って考える事が出来ないのでしょうか!?

 
 更に、引用させて頂きます。

 A級戦犯合祀(ごうし)については「特定の人に参拝しているのではない。圧倒的多数の戦没者の方々に哀悼の念をささげるためだ」とし、「(A級戦犯は)戦犯として(東京裁判で)刑を受けている。それとこれ(参拝)とは別」と語った。

 

 ここで、朝日新聞(816日)の『終戦記念日に首相参拝識者3氏座談会』の中での野田毅氏(自民党衆議院議員、日中協会会長)の発言を抜粋させて頂きます。

 

85年の中曽根首相の靖国神社公式参拝に先立ち、私は中国に行き、孫平化・中日友好協会副会長(当時)らと話をした。「首相が参拝する対象はA級戦犯ではない」と説得したが、中国側は「日本人の気持ちもわかるが、中国にも民族感情がある。日本の首相が国民を代表して頭を下げることばA級戦犯の名誉回復につながり、中国国民に説明ができない」と言った。

 参拝が行われた後、中国政府による批判は現在と比べれば穏やかだった。だが、そのために中国政府は後に、国民から弱腰だと突き上げられる羽目になった「中国は靖国を外交力ードに使っている」と批判する人には、中国政府がこの間題に寄せる切実感を理解してほしい。

 

 この「中国政府がこの間題に寄せる切実感を理解して」その後、中曽根氏は靖国参拝を控えていたのに、小泉氏は、この中国に対する仁義を総裁の椅子と交換したのです。

 

 この野田氏の「中国政府がこの間題に寄せる切実感」は、日中国交回復の大前提である大英断(私には、日本に対しての大恩恵と感謝しています)の結果生じているのです。

この件に関して、先の拙文《政治も外交も社会通念が基本》の一部を再掲します。

 

 小泉氏は、もうご存知のはずです。

拙文《仁なき詭弁家小泉純一郎首相》《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》などにも何度も引用させて頂きましたが、次の『文芸春秋:20019月特別号に古山高麗雄氏の書かれた「万年一等兵の靖国神社」。』での、中国の首相周恩来(当時)の大英断です。

 

一九七二年、当時の首相田中角栄が、日中国交正常化のために訪中したとき、当時の中国の首相周恩来は、「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。すべからく日中両国人民は、共に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」と言って、賠償請求を放棄した。

 

 そして、次のように続いているのです。

 だから中国政府としては、東京裁判のA級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争青任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりすると、自国民を納得させられない、というのである。

 

 何故この事実をマスコミは日本国民に正確に伝えないのでしょうか?

朝日新聞(63日)には、「一から分かる靖国問題」との記事を全面に掲げていましたが、この周恩来氏の大英断には一言も触れていません。

 

 この大英断を中国国民に説得し納得させるのは、多大な力が必要です。

(今の日本に、東京裁判は受け入れられないと言う人が多く出てきたと同様に、中国で、この大英断に対する不満がいつ爆発しても不思議は無いはずです。)

 

 首相周恩来(当時)が、この大英断を下すに際しては、中国側の思惑も色々ありましたでしょう。

賠償金問題で交渉が長引くよりも、早く日本と国交を結び、日本からの経済的援助を最優先としたいとか・・・

そのような中国側の思惑を斟酌して、この大英断を、単なる中国側のご都合による産物と捕らえる方もございましょう。

(小泉氏はその最たる方なのかもしれません!)

 

 しかし、「人間の品格」、「国家の品格」によって、他者からの恩恵を「ありがたい恩恵」、或いは「受け取って当たり前のもの」と受け取り方が異なるようです。

私には、「中国の首相周恩来(当時)の大英断」を小泉氏は「受け取って当たり前のもの」と認識しているように感じます。

 

私は、「受け取って当たり前」の世界よりも、「ありがたく頂戴する」世界の方がより素晴らしい世界に発展してゆくと存じております。

 

私達の日頃の生活でも、他人の好意、贈り物などを、「受け取って当たり前」と受け取る方々と、「ありがたく頂戴する」方々とが居られる気がします。

 しかし、残念な事にこの“お陰さま”との日本語が、最近では(小泉首相登場以降)「日陰者的存在」になってしまっているようです。

 

 更に、「人間の品格」、「国家の品格」によって、相手の立場に立てる度量が異なると存じます。

小泉氏は全く相手の立場に立てない方のようです。

(否!自分が総裁の椅子をとるために約束した方々の立場ばかりを慮っておられるのかもしれません!)

 

 そして、小泉氏は、小賢しく“A級戦犯を合祀されているからといって靖国に参拝する事を止める事は、外国から圧力に屈する事だ”といった風にして、「靖国問題」を「外国の圧力問題」にすり替えることに、まんまと成功しています。

なにしろ、日本人の多くは“外国の圧力に屈するな!”と小泉氏にエールを送るのですから!

でも、とても不思議です。

何故、このような小泉氏に日本国民が反対の声を上げないのでしょうか!?

靖国問題は、外国の圧力云々の前に、日本国内の問題です。

少なくとも、靖国神社は、A級戦犯も含めて戦死者達を、戦争の犠牲者としてではなく「神(軍神)」として祀っているのです。

 

 ですから、この見地から、次の小泉発言は、撤回して頂かないとなりません。

 

 (更に、引用させて頂きます。)

 憲法上の疑義については「私は神道を奨励するために行っているのでも、過去の戦争を正当化、美化し、軍国主義を称揚するために行っているのでもない。憲法上の思想及び良心の自由、まさに心の問題だ」と述べた。

 

 「過去の戦争」での軍神が祀られている靖国神社を参拝して「過去の戦争を正当化、美化し、軍国主義を称揚するために行っているのでもない」と発言するのは無理です。

(参拝の目的は、ひとえに「総裁選時の公約(約束と言うべき?!)の遂行」の為、更には、総裁の椅子欲しさで、多くの人々の利益よりも、自己の欲望を優先した「(貧相な)心の問題」だというなら分りますが・・・)

 

 

 それでも、小泉氏は、支離滅裂な一人芝居によって、小泉氏に自民党総裁、日本国首相の椅子を勝ち取って下さった方々には、絶大なる恩返しをしているのです。

 
 なにしろ、今では、靖国神社はA級戦犯を分祀し、首相の、それどころか、天皇の靖国神社への公式参拝を可能とすべきだとの世論を形成してしまったのですから!

 

(小泉氏の靖国参拝は、小泉氏自身は色々とその理由付けはしていますが、結局は、彼の恩人達への約束を(日本や外国への配慮を無視して)履行しただけのです。)

 

 

 ですから、『週刊金曜日(2006811号)』に掲載されているような見解(如何に一部抜粋させて頂きます)は大手マスコミでは紹介されていません。

 

尹健次氏(神奈川大学外国帝学部国際文化交流学科教授)の記述を先ず引用させて頂きます。

 

七月二〇日にソウルで靖国問題をめぐる国際学術シンポジウムが開かれて参加したが、そこでは日本、韓国のみならず、台湾、アメリカ、ドイツなどの学者・運動家が次の点で一致した見解をもっていた。つまり、

一つは、靖国問題とはA政戦犯が合祀された靖国神社への参拝だけが問題ではなく、靖国参拝そのもの、さらには靖国神社の存在そのものが問題だということ。

二つは、その靖国神社は戦争遂行の装置であり、それは天皇制・軍国主義と密接に関連していること。

三つは、靖国問題は日本の右傾化・軍事大国化の道具であり、アジアひいては世界の平和を脅かしているということ、である。

 

 

 何故このような問題点を日本の大手マスコミは避けて通っているのでしょうか?!

この学者・運動家たちと同様、米倉斉加年氏(俳優)は、次のように記述されています。

 

 米倉斉加年氏(俳優)

 今も昔も、戦争では多くの一般市民が巻き込まれて死ぬ。どれだけ多くの非戦闘員が殺されてきたか。戦争は人を殺す。見境無く人を殺すのが戦争だ。

 太平洋戦争のとき、私達は国家に忠誠を尽くす少国民として教育された。

福岡出身の私はその時「靖国」を知った。

「靖国」は戦争の中心であった。私たち皇国少年はいずれ国に生命を捧げて英霊となって「靖国」に祭られると信じていた

愛国心と「靖国」はリンクしていた。

・・・

靖国」は聖戦大東亜戦争の象徴的存在であった単なる個人の心の問題で済むことでない

 日本国首相の「靖国」参拝はアジア近隣諸国から大東亜戦争の正当化であり肯定であると強い批判を受けるのは当然であろう。・・・

 

 私も、米倉氏と同じ頃生まれていたら、又、それ以前に生まれていたら、「捧げて英霊となって「靖国」に祭られると信じ」、その挙句、戦死(その時には「靖国」なんぞ心や頭の片隅にも浮かばずに)していたでしょう。

 

 だって、戦死の際のこの気持ちは、次の目取真俊氏(作家)の記述を読めば当然です。

目取真俊氏(作家)

・・・

 米軍の砲弾に吹き飛ばされ、火炎放射器で焼かれ、手榴弾や日本刀で自決を試みたもののすぐには死ねずにのたうち回り、暗い壕の中で血と糞小便にまみれ、ウジ虫に食われたあげくに置き去りにされ、青酸カリを飲まされる。そうやって沖縄戦で死んでいった日本兵たちが、靖国神社に祀られて浮かばれているだろうか。・・・

 

 

 田中優子氏(江戸時代研究者)

 

 ・・・靖国神社は森や山を鎮守する伝統的な神社ではなく近代国家の利益のために作られたということは再三発言してきたが、・・・

私は江戸研究者だが、江戸時代には靖国神社も「靖国」と言う概念もない。

靖国神社は近代天皇制の成立とともにあり、日本人が天皇におのれの死の意味を付与してもらう機構である。英霊」という言葉は、次の戦争のために準備された誇らしき死の約束だ。・・・

 

 この「英霊」と言う言葉を、ポスト小泉と言われている安倍晋三氏、麻生太郎氏は盛んに使用しています。

とても危険な兆候と存じます。

 

吉田司氏(ノンフィクション作家)

 

・・・私などは農民兵士の霊魂たちと対談する。「あなたらは、いまも軍隊的栄光を願うか?孫世代が再び大陸の大陸の夕日に照らされて倒れ、密林の奥や中東の砂漠に散る事を容認するか?」・・・

 

 吉田氏のみならず、御遺族の方々もこのような対談をなさって頂けたらと願わずにいられません。

 

 朴慶南氏(エッセイスト)

・・・鹿児島の知覧にある特攻記念館を訪れる機会があった。壁一面に掲げられた特攻隊印の写真のなかに、植民地下の朝鮮人を見つけた。10人以上はいただろうか。

 彼らがあの戦争の英霊≠ニされて、靖国に入れられていることに絶えがたいものを感じた。内鮮一体という言葉にこめられた酷さが、実感を伴って伝わってきた。植民地支配を含んだ軍国主義の象徴が、それこそ靖国だと思う。・・・

 靖国とは何なのか。この夏、日本人にこそしっかり考えてほしい

 

 東京裁判は否定すると言い、A級戦犯にのみ戦争犯罪を押し付け、且つ、A級戦犯は死をもって罪を償ったと言い、もう誰も戦争の責任は負わなくて良いように被害国に振る舞い、A級戦犯の合祀分祀は兎も角、米倉氏の指摘のように「聖戦大東亜戦争の象徴的存在であった」靖国神社に首相が、はたまた、分祀した折には天皇が参拝すると言う理論には、まっとうな頭脳、精神の持ち主なら嘔吐を催すのではないでしょうか?!

 

 そして、私は、小泉首相の次の発言を訂正して欲しいのです。

 

 「戦争で尊い命をなくされた方々の上に今日がある。心から敬意と感謝の念を持って参拝している」

 

 私は、このような「戦争で尊い命をなくされた方々の上に今日がある」との発言は、先の田中氏の“英霊」という言葉は、次の戦争のために準備された誇らしき死の約束だ”と同種の言葉に聞こえます。


 私は、戦争で亡くなられた方は、戦いの場でも、それ以外の場でも、お気の毒な犠牲者と存じます。

そして、

その方々の犠牲と、今日の繁栄(場合によっては、窮状(終戦が遅れていたら、ソ連に日本は占領され苦難の道を今でも歩いていたかもしれません))とは別です。

 

 悲しい事に、このような発言を石原慎太郎都知事もされています。

先の拙文《石原慎太郎都知事とテロ》から再掲します。

 

「都民が被った惨禍の事実を風化させることなく東京の平和と繁栄が尊い犠牲のうえに築かれていることを忘れてはならない
(同日、墨田区の都慰霊堂で行われた「慰霊大法要」で)

 

 

 為政者は、戦争で亡くなった方々に対しては、“戦争で尊い命をなくされた方々の上に今日がある。心から敬意と感謝の念を持って・・・”ではなく

平和と繁栄を享受する権利を戦争で奪ってしまった事を心から謝罪し、
今後戦争を起こさない事”を誓うべきと存じます。

 

 その為には、はっきりと、先の戦争の責任問題に取り組むべきです。

「A級戦犯東条英機には罪は無かった」などの論を展開する前に次の『紙の爆弾 20069月号』に於ける高田欣一氏の記述を御覧下さい。

 

 東条英機宣誓供述書は、大東亜戦争を自衛の戦争と規定している。だが、日中戦争(支那事変)の最中に度々和平案が持ち上がったにも関わらず、東条自身がことごとく反対し、潰してきたことには触れていない。

 その幾例かを挙げると……。

 昭和十六(一九四一)年十月十四日の閣議で、近衛総理が「日米交渉はむずかしいが、駐兵問題に色つやをつければ、成立の見込みがあると思う」と発言したのに対し、東条陸相が激怒し、長口舌を振るっている。

 

 撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか、陸軍としてはこれは重大視しているものだ。米国の主張そのまま服したら支那事変の成果を壊滅するものだ

 満州国をも危うくする。さらに朝鮮統治も危うくなる。帝国は聖戦目的にかんがみ非併合、無賠償としてをる。支那事変は数十万の戦死者、これに数倍する遺家族、数十万の負傷兵、数百万の軍隊と一億国民に、戦場および内地で辛苦を積ましており、なお数百億の国幣を費やしているものであり、普通世界列国なれば領土割譲の要求をやるのはむしろ当然なのである。しかるに帝国は寛容な態度をもってのぞんでいるのである。駐兵により事変の成果を結果、づけることは当然であって、世界に対しなんら遠慮する必要はない。巧妙なる米の圧迫に服する必要はないのである。

・・・

        (臼井勝美著・日中戦争)

 

 この東条陸相の台詞は、無用な公共事業を途中で止める訳には行かぬと激怒し、長口舌を振るう族議員達のようでもあります。

反省はその都度行うべきです。

 

 

 その上、次のような記事が紙面に載ってきます。

 

朝日新聞(2006年08月16日)

 山形県鶴岡市にある自民党元幹事長の加藤紘一氏(67)の実家と事務所が全焼した事件で、敷地内で腹部を切った状態で見つかった男は、東京都内に住む右翼団体幹部(65)とみられることが16日、山形県警の調べでわかった。県警は発生が終戦記念日であることや、加藤氏が首相の靖国参拝に批判的な発言を繰り返していたことなどに着目。何らかの思想的な背景を持った行為との見方を強めている。

 

 なんだか戦前のようです。

 

 

 先の拙文《戦争に嵌っている人は精神病》にて紹介させて頂いた聖路加国際病院理事長日野原重明先生のご発言のようです。

みんな、あんな中に嵌っている人はね、やはり病人ですよ。

はっきりした精神病

一時的な精神病ですよ。

 

 でも、先の拙文《朝まで生テレビ「昭和天皇と靖国神社」を見て(1》《朝まで生テレビ「昭和天皇と靖国神社」を見て(2》等にも朝日新聞(2006年07月26日)の記事から引用させて頂きましたが、終戦直後(45年9月25日)の昭和天皇の次なる発言を真摯に受け止めるべきと存じます。

 

 

平和的な貢献により日本がやがて国際社会で正当な地位を再び占めることを望む

「銃剣によって、または他の兵器の使用によって恒久平和が確立されるとは思わない

 

 
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